今を去る、1250年前、聖武天皇の時代奈良東大寺の大佛を建立したと伝えられる行基菩薩が北摂三田の広大なる土地を開かん為に水利に必要な大きな溜池を三ヶ所造営されたとあります。

 その一つが福島大池で大いに水利の便を計られ、同時に諸方に道場としての寺を設け多方面に活動の拠点とされ、福島大池がつくられると共に行基菩薩によって青龍寺が開かれたとあります。

 当時、畿内49寺の一つに挙げられ、京都東寺の末寺として真言宗であったとあります。更には第51代平城天皇の第三皇子の高岳親皇が空海に真言密教の教えを授けられ、唐で佛教の究明に励まれ、唐朝の庇護を授け、その後印度に渡らんとしての途中、猛虎の災にて惜しくも死去されたが、これが無事に伝道を明らかにして帰国されておればその学徳、才気において或いは弘法大師を越していたかも知れないと言われています。

 このような名僧が青龍寺に永く駐留され青龍寺から入唐の壮挙にのぼられたとあり青龍寺の往時がしのばれる処でごさいます。

 此の様に皇室にゆかりの在るところから16の弁の菊の紋章が許されていると文献は記しています。

 尚、青龍の文字は弘法大師が西暦804年入唐し、中国の長安の青龍寺の大法の秘法を伝授されたことに始まったと記されております。

 その後、今から354年前、三田藩主として九鬼久隆公が伊勢鳥羽より赴任のとき久鬼家の菩提寺、常安寺四世覚雄是的大和尚を伴い、久鬼家の菩提寺として、心月院を開かせ、その20年後、今から323年前にこの心月院の覚雄是的大和尚が青龍寺に移られて、それ迄は久しく真言宗であった青龍寺を曹洞宗に改宗されて第一世と成られたとあります。

 それから幾年かの歳月を経て先代23世・林田智海和尚が入山され、現在24世・林田亮慈和尚に至っております。

 又、当山青龍寺所管の子安如意輪観音座像は大正5年国宝に指定され昭和25年には重要文化財として祭られております。


“禁葷酒碑”

 青龍寺山門前に禁葷酒の碑が建っています。この碑は禅宗の山門の前に例外なく建っており、‘不許葷入山門’と書かれている場合もありますが、葷というのは、ねぎ、にら、にんにく等の生臭い菜のことを云います。

 これらの臭菜を食べたり、酒臭いにおいをさせて山門をくぐってはいけないと云うことです。一度山門をくぐると清浄な佛の前に額ずくのだから、心身共に清らかにしなければいけないと教えています。

 従って古くから食肉などをきらい、肉などを食べ臭い口をして佛の前に額ずくことは許されませんでした。それでも庫裏などで酒の匂いがするときに、寺院では酒のことを般若湯と云いました。知恵の薬湯と云うわけです。

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本堂新築勧進のお知らせ


当青龍寺は千三百年前、行基菩薩によって開基され、今から約三百五十年前には真言宗より曹洞宗に改宗、永平寺の末寺として開山された古い歴史を有する寺院でありますが、この度この名刹青龍寺本堂が老朽化著しく、近々その建て替えを余儀なくされ当寺檀信徒はもとより、多くの方々のお志をいただきまして本堂新築建立を計画いたしております。

なお
平成14年春着工
平成16年落慶  の予定で勧進のお申し込みを広く募っておるところでございます。

ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

 

ご協力いただける方はこちらまでメールをいただければ幸いです。